到着は、午前9時過ぎ。ボランティア団体ガイドの会のY氏の説明を聞きながら、また私も質問しながら、約3時間、この縄文時代中期以降の遺跡を巡る。暑いが、ときおり風が吹く。信念を持つY氏に敬意を抱く。

この遺跡はまだ、8%しか発掘されていない。
私の生きているうちに、その全貌があきらかにされることはない。しかし、実際に訪れてよかった。
昨夏、東京・上野の国立博物館開催の、「特別展 縄文―1万年の美の鼓動」以来の感動を覚える。
ブログの記事にちんまり収まることがらではないが、私にはある確信が根付いた。
その一つ、縄文遺跡の復元は、ほとんどお粗末で、でたらめであること。教科書などの記述、あるいは専門家の書いた書物のなかの縄文時代は貧粗であること。
もう一つ、加曾利タワー(私の命名)は、円錐の屋根を持つ宗教施設である。4重の円に配列された柱の間を回って、人々は生と性の儀式を行っていた。

踊る踊る棒で叩かれ酒を飲み天へ 夏石番矢
参照
退院後はじめて銀座と上野へ
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201808article_23.html
縄文共同体の祭
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201808article_27.html
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