本田義孝監督映画「ずぶぬれて犬ころ」試写会

2019年3月6日(水)午後3時半より約1時間、渋谷のKINOHAUS地下1階、映画美学校試写室にて、夭折の俳人、住宅顕信(すみたく・けんしん 1961-1987)をモチーフにした、

本田義孝監督映画「ずぶぬれて犬ころ」試写会

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に、鎌倉佐弓とともにでかける。円山町のラブホの間の建物の地下が会場。

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試写開始前に挨拶する本田義孝監督

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現代のいじめられっ子中学生小堀明彦の状況と住宅顕信の自由律作句と死への過程を交互に展開させる構成。

木口健太演じる住宅顕信が書店の「文芸コーナーの奥にある詩歌」に俳句の本があると、映画の冒頭近くで述べる1980年代からすでに約40年経過していることに驚く。

顕信が初めは漫画家志望だったことは、案外彼の俳句の特質につながることが、今回の発見。

顕信があこがれた尾崎放哉と住宅顕信の自由律俳句の違いがここにある。

はっきり言えば、住宅の俳句は、放哉や山頭火を超えていない。やはり「未完成」なのである。

その理由を述べておこう。

放哉が日本語、漢文、欧文の言語ベースがあるのに対して、顕信にはそういう言語ベースがない。むしろ、漫画の「吹き出し」の日本語が、顕信の言語ベースと言ってよいだろう。浄土真宗の僧侶となった顕信だが、あまり漢語調は俳句に出ていない。

夢を見せてくれる熱よ熱恋し  放哉

この句には、欧文脈がある。

ずぶぬれて犬ころ 顕信

これは戦後の口語日本語。漫画的な映像性の強い一句。やはり平板さはまぬがれえない。

そして、今回の映画のタイトルにもなり、映画の中の現代いじめられっ子小堀が、いじめられ、雨に打たれて、着衣のままずぶ濡れになって立ち上がるとき、スクリーンに大きく映し出される顕信の代表作である。

森安奏太が演じる小堀が、死んでしまうにちがいないと私たちに思わせて、こういう大転換があるのが印象的。

顕信俳句では「ずぶぬれ」た状態への共感が詠まれ、映画では「ずぶぬれ」た敗北状態からの立ち直りを強調している。このずれが面白い。住宅の俳句そのままでは映画としての映像の厚みに欠けると本田監督が判断したのだろう。

この映画の試写が完了し、受付で感想を問われたとき、「日本のいじめは陰湿ですね」と答えてしまったのは、私にもこの種の経験があるからだ。ごく普通の人間が「いじめ」にふける恐ろしさ。

  魂はずぶ濡れにならない血まみれにならない  夏石番矢

この記事へのコメント

  • Fujimi

    少し本音を書き加えました。放哉や山頭火を顕信は超えていません。
    2019年03月11日 22:26

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