鈴木大拙の弟子、R・Hブライスが、俳句と禅を結び付けて、英語で紹介した。これがかなり噴飯物の俳句理解。
俳句のなかのことばの働き、境地についてほとんど誤解しかしていない。
この影響は、米国のビート詩人のみならず、現在でも世界のあちこちに見られる。
鈴木大拙に限らず、禅の人々を、私は信用できない。すべての文章で、述べていることが浅く、尻切れトンボ。
教えも、要諦は不立文字だと言って説明しようとしない。
ほとんどの禅僧は、釈迦の教えから逸れたペテン師である。
蜃気楼に閉じ込められた猿の座禅 夏石番矢
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