日本の基盤をどこに

私たち日本人は、無意識に無自覚に操られ、これまで借り着していた、先進国、中国やヨーロッパの思想も、なしくずしに捨て去ろうとしている。

その典型が、精神的に醜い安倍晋三。

それでは何を基盤にして、思想の再構築をしたらいいのか? 日本会議的な国粋主義は何の約にも立たない。日本の伝統を、日本古代の多元性を踏まえた上でとらえていないからである。

私が20代のときから、日本古代を考え、日本の寺社を旅するごと、訪れたのは、多元的日本古代についての感覚的心証を確かめ、固めておきたかったからである。

日本古代の多元性は、日本単一民族説のような薄っぺらな妄想を超えて、日本的思想の散漫さを超えて、無限の柔軟性と自由さにつながるはず。その豊かな全体性は、なかなか見えてこない。

俳句の世界性、前衛性、根源性は、有季定型という近代の妄想を超えた豊かな地平を、20世紀初めからすでに海外の前衛詩人によって予告されている。これをさらに進展させる文学的、思想的な骨組みが必要だ。

この地点と、日本古代の多元性との間にどういう架け橋を築くか。これが今後の私の仕事の大きな柱。このつながった架橋が、今後の世界文化の豊かな発展を促すことになるだろう。

ジャポニスムを、単なる日本文化優越論に終わらせてはもったいない。もっと包括的な原理へと導くはず。

そうでなければ、無思想な凡百の俳句愛好家、正岡子規、高浜虚子、鷹羽狩行、金子兜太と同様になってしまう。

  砂漠にも密林にもつながる虹を眉間が放つ  夏石番矢

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