溝咋神社につられて、「溝咋」がタイトルに入った日本古代史本を読んだ。
日本古代史本をこれまで何百冊読んできただろう。部分的に卓見があっても、途中で自分の妄想へと逸れていったり、あるいは現在認められている通念に閉じ込められたりで、これがいいという本はなかなかない。
完璧でなくても、70パーセントはいいという本がない。
日本にはしっかりとした古代からの歴史観がない。そこからまともなナショナリズムは生まれない。
溝に埋もれた花と記憶に泥積もる 夏石番矢
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