付け焼刃の現代詩と人類的世界俳句

日本の自由詩や散文詩の根拠はどこにあるのだろうか?

西ヨーロッパ哲学にあるのだろうか?

それでは日本語で書く必要はない。ドイツ語やフランス語で詩を書けばよい。英語では役不足。

日本に根拠があるのだろうか? 誰もその根拠を示しえたことがない。

根拠がない空中楼閣。西ヨーロッパの政治的、軍事的優位が裏支えしている幻想から、日本の現代詩妄想が生じている。

だから、ほとんどの現代詩は一過性の妄想にすぎない。そういう妄想につきあっても、疲弊するだけだ。

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ところで、20世紀西ヨーロッパ前衛詩は、根幹のところで日本の俳句の「翻訳」の影響を受けている。

これが理解できない日本の現代詩人は、まったくピエロである。

K・Nさんの新著2冊を読み始めて、まじめなピエロの喜劇を目撃した。

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それでは、海外の俳句、日本語以外で書かれた俳句の根拠はどこにあるのだろうか?

これは、3節句構造、人類の根源的思考能力に埋め込まれた3という数字に根拠がある。575でも季語でもない。有季定型は、日本近代の妄想である。

言い換えれば、ことばの3本柱による世界構築、これは実は俳句に限らない、創造力、構成力、造型力、の基本。時代も空間も超越した、超原理である。

超原理から生まれて、多言語で成立するのが、世界俳句。

 洋書で禿げて乱杭歯では歌えない  夏石番矢































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