さきたま古墳群を訪れる

2016年9月4日(日)、行田市の東部の、

さきたま古墳群





を初めて訪れる。そのため、某所に2泊。

5世紀後半と推移されている(これも本当かどうか疑わしい)稲荷山古墳から出た金錯銘鉄剣など鉄製品が立派で頑丈。実物を見て感心した。

埴輪の人物すべてが横長の目。

これは伽耶(加羅)の出店、あるいは支店ではないか?

伽耶
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%80%B6

稲荷山古墳の鉄剣に漢字で刻まれた「ワカタケル」大王は、日本の雄略天皇ではなくて、伽耶の王か? 伽耶の王が雄略天皇か?

この古墳群一帯は、大きな古江戸湾の地先の島。海が後退してゆくにつれ、よい水田になっただろう。

そして、近くの熊谷は、現在の日本の最高気温の土地。

たぶん古代では、違う種類の暑さに見舞われた水田では、二毛作も可能だったかもしれない。

現代の猛暑の古墳群を訪れてこういう推測が生じた。

  稲の実りは眠った鉄剣の余波か  夏石番矢

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さきたま古墳群の記事「埼玉新聞」に
Excerpt: 9月4日(日)に猛暑のなか訪れた、さきたま古墳群についての記事が、
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2016-10-20 19:23