9月19日(月)、兵庫県相生市相生(鰯浜)在住の義兄T・Hが亡くなった。家族葬なので、見守るだけ。
実は、昨夜から眠れなかった。
1974年、東大1年生だった夏、帰省したら、漁師の息子であり、当時IHI社員だった義兄が私を乗せて、小さい船で相生湾をみずから櫂で漕ぎ出してくれた。
海面に、規則正しい間隔の縞模様が広がり、見つめていると、引き込まれそうになった。
そして、姉の嫁ぎ先、義兄の家でくつろいでいるときにできたのが、次の句。
肋骨の沖へと午後の白い部屋 夏石番矢
「海程」1974年 (昭和49年)12月号
初期句集『うなる川』(『夏石番矢全句集 越境紀行』所収、沖積舎、2001年)
「肋骨の沖」が、あの海面をうまく表現しえているかどうかわからないが、あの乗船体験がなければ生まれなかった。あれから42年が経過した。
義兄の肋骨も、もうすぐ焼かれる。合掌。
ふるさとがますます遠くなる。
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姉への手紙
Excerpt: 夫を亡くし、四十九日をすませた、次姉へ手紙を書いた。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2016-11-20 01:58
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