死者はどこにいる?

死者はどこにいるのだろうか? ある出版記念会に出席し、考えてみた。

その本の著者は、死者は生者の記憶に存在すると述べた。はたしてそうだろうか? 

生者は、いつかは死者になるのだから、それは、未来の死者の記憶にと言うべきかもしれない。

そして、生者の数は、これまでの死者にくらべれば圧倒的に少ない。

死者は、この世から消える。消えるべき生者とともに。

記録、たとえば著作や作品は残ることもあるが、それは稀有なケースに過ぎない。

あの世がどいうものであるかはともかくとして、あの世があるとする。

死者はあの世に存在する。問題は、死者はこの世の生者であったときの記憶を保持しているかどうかである。

私はすべては保持していないと思う。

死者はあの世では、この世とは少し違った存在になる。

また、あの世では死者ではなく、いわばあの世人になる。人と呼んだが、あの世で人は人であるのかどうかわからないが便宜的に、あの世人と名付けておこう。

つまり、生者をこの世人であるとするなら、この世人とあの世人が存在し、生はこの世での存在、死はこの世での不在かつあの世での存在を意味する。

この世での存在は短く、あの世での存在は長い。

あの世が存在しないとすると、生者はこの世から消滅しただけで、死者は存在しないことになる。

あの世が存在するなら、死者はあの世人になる。

この世人がこの世をすべて知らないよりも、この世人があの世を知らない度合いがくらべものにならないほど強い。

この世からあの世はほとんどわからない。あの世からこの世はどのように見えるのだろうか? これもかわらない。

  あの世からこの世は見えるか散る桜  夏石番矢

この世人の記憶などは、うたかたにすらならないほど微弱。

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