第二次世界大戦中、わが父乾萬吉は、叔父乾寅之助経営の大阪市南区高津の乾製箱所から、奈良市今在家町へ疎開していた。
大阪・八尾市に住むまたいとことメールのやりとりをして判明。父のアルバムに奈良が写っているのは疎開時代のものと初めてわかる。
父が奈良に疎開していたときの写真。戦時中とは思えないほどくつろいでいる。
戦時下の野の父へ降りそそぐ喜び 夏石番矢
しかし、乾製箱所は空襲で焼失した。
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