古事記ノート(26) 黄泉の雷

『古事記』の黄泉のくだりで、理解できず気がかりな部分があった。

故刺左之御美豆良【三字以音下效此】湯津津間櫛之男柱一箇取闕而。燭一火。入見之時。宇士多加禮斗呂呂岐弖【此十字以音】於頭者大雷居。於胸者火雷居。於腹者黒雷居。於陰者拆雷居。於左手者若雷居。於右手者土雷居。於左足者鳴雷居。於右足者伏雷居。并八雷神成居。

故、左の御美豆良(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の男柱一箇(ひとつ)取り闕(か)きて、一つ火燭(びとも)して入り見たまひし時、宇士多加礼許呂呂岐弖(うじたかれころろきて)、頭(かしら)には大雷居り、胸には火(ほの)雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には拆(さき)雷居り、左の手には若(わか)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なり)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并(あは)せて八はしらの雷神(いかづちがみ)成り居りき。

黄泉にいる女神イザナミの死体に、蛆がたかっているのはよしとして、なぜ雷が、からだの八か所にいるのかがわからなかった。M大H学部のゼミでもいつも疑問のまま、このくだりに触れていた。

ところが、M-L・フォン・フランツ(氏家寛訳)『夢と死 死の間際に見る夢の分析』(人文書院、1987年)を読んでいて氷解した。

この本には、死の数日前にある人が見た夢が紹介されている。

「それは一種の中世風の寝棺である。そこからいくつかの赤い電光が出ている」(89ページ)。

フォン・フランツは、電光を復活のエネルギーと解釈している(199ページ)。

すると、イザナミのからだは、蛆によって腐敗と分解が促進され、同時に復活のために、雷が宿っていることになる。

イザナミには生命の根源の大地母神の性格があり、蛆と雷によって、みずからのからだに、破壊―再生が同時に起きているという、まったく大地母神らしい姿が、『古事記』に端的に示されている。

『古事記』は、寄せ集めのパッチワーク、モザイクのようなテキストだが、その一部分にとんでもない普遍的神話的真実が記録されていることがある。

頭………大雷
胸………火(ほの)雷
腹………黒雷
陰………拆(さき)雷
左手……若(わか)雷
右手……土雷
左足……鳴(なり)雷
右足……伏(ふし)雷

人体がこういう八部から構成されるという考えも、ここにはうかがえる。

  蛆虫と稲妻のあいだに母の秘密

  蛆虫がいて雷がいる闇のからだ  夏石番矢


参照
古事記ノート(25) 日朝をつなぐイナヒ
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201311article_29.html

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Excerpt: しばらく中断していた古事記ノート再開。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2017-01-14 00:44