『小林一茶+清水国治 俳画集』(SHH Press、2015年11月、10米ドル、9ユーロ)が届く。
いわゆる一茶らしい俳句以外に、一茶には、表現と内容に近代的な一面がある。清水国治さんがデジタル俳画に仕立てた2句をご紹介しておこう。いずれも海を詠んだ俳句。
無季の名句
亡母や海見る度に見る度に 一茶
文化9年(1812年)、上総で詠まれた。『七番日記』所収。
一茶の生存中、こういう窓と椅子は、日本ではまずなかった。こういう洋風の俳画が、意外にもこの一句と合っている。いや、洋の東西を超えた名句だから、この俳画に配してもおかしくないのだろう。
人間肯定の秀句
雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ 一茶
寛政5年(1793年)、九州旅行中の作。『寛政句帖』所収。
「この秋は何で年寄る雲に鳥 芭蕉」のパロディー。
芭蕉句では哀愁の「雲に鳥」が、一茶では春の季語「雲に鳥」(鳥雲に入る)。海水浴が普及するのは、ヨーロッパでは19世紀後半、日本では明治になってからなので、「海に遊ぶ」は一茶の時代では、おそらく海辺で遊ぶだったろう。これは本来、磯遊びの句なのだろうか?
渡り鳥が日本を去っても悲しみはなく、人々が陽気に海辺で遊んでいる。生命賛歌の一句。
俳画の内容と付された英訳は、現代的な解釈。それも許される。
こういう俳句と比較すると、正岡子規の俳句は近代的ではなく古臭い。
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