私の父母はすでに物故者。ともに享年93歳。
このブログ以外に情報がネット上にないので、ここに明記しておきたい。父母について、特に秘するべきこともない。
戦時下の父母結婚式の記念撮影 1944年3月
両親の他界に関する記事へのリンクを下に。
父
乾萬吉
苦労人だったが、やさしかった。酒と猫が好きだった。
乾家は、神戸市灘区篠原本町が本拠。萬吉も1916年8月神戸市で出生。1944年3月丸山みよ子と結婚し、同年12月神戸市から妻のみよ子の郷里、相生市へ転居し、晩年まで暮らし、2008年から独居、2010年4月同市の播磨病院で死去。二女一男の父。
1955年相生市菅原町の自宅で出生した長男(私)を抱いて
父乾萬吉の他界と帰宅
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201004article_4.html
口と肛門あけっぱなしの父光る雨 夏石番矢
句集『ブラックカード』(砂子屋書房、2012年)
母
乾みよ子
乾美代子と表記していたようだが、戸籍上は上記。
弱視者で、度の強い眼鏡をかけていた。晩年は失明した。若いころは文学少女だった。歌を歌うのが好きだった。
1918年5月、現在の赤穂市で出生。相生市の旧陸菅原町の丸山家で成長し、1944年3月、乾萬吉と結婚し、短期間神戸市に住むが、同年12月、郷里の相生市へ帰り、夫の萬吉と住み、2008年まで暮らす。その後、相生市の介護施設に入り、2009年からたつの市の病院と介護施設で寝たきりで生存し、2011年12月たつの市で死去。二女一男の母。
撮影年不明。1970年代か? 赤穂市
母の末期の儀
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201112article_5.html
肉体を着る母はかなしや雨を苦しむ
母の遺体の前で崩れる父の靴 夏石番矢
句集『ブラックカード』(砂子屋書房、2012年)
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