出流れの晩茶も八十八夜かな 正岡子規
霜なくて曇る八十八夜かな 正岡子規
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放映が無事、5月1日朝に完了したので、私の解説を下に。
文部省唱歌「茶摘み」を誰も連想するが、子規の俳句二句は、この歌よりずっと早く作られた俳句。
出流れの晩茶も八十八夜かな 正岡子規
旧暦の立春から数えて八十八日目の夜が「八十八夜」。
この日は新暦では動くが、大体五月初め。春から夏への変わり目。
現代では、ゴールデンウィークの初めにあたる。作られた明治26年(1893年)の八十八夜は、5月1日。
今年2015年は5月2日。
「出流れ」は、「出がらし」と同じ。安い出がらしの晩茶も、八十八夜にはおいしく感じられる喜びを詠んだ一句。
一家を松山から東京の根岸に呼んで、意気軒昂な正岡子規の息遣いがうかがえる。
霜なくて曇る八十八夜かな 正岡子規
「八十八夜のわかれ霜」というように、夏の始まりながら、霜が下りることもある八十八夜。
さいわいにも、霜が降りずにすんだが、五月晴れではなく、一日曇り日だったと子規は詠んでいる。
子規の逝去1年前の明治34年(1901年)作。子規の病状が悪化してゆく最中の作。「曇り」には病床の子規の心も反映している。
参照
テレビ朝日からの質問に答える
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201412article_5.html
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Fujimi
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