私が郷里の実家を喪失したのが、2013年。誰を恨むわけでもなく、しかし、逃げ帰る場所としての実家喪失を、自分でも完全に受け入れられたわけではない。
大学入学のため上京したのが1974年なので、39年間、郷里の家は私にとって実家として存在した。
何度か、実際に実家に逃げたこともある。2度の病気、福島原発爆発からの避難など。
両親他界後、遺産分割の結果、実家は私の手から放れた。これが2013年。
それからまだ1年少ししか経過していない。もっと長い年月のような気がする。
娘は、これまでの甘えから脱却するため、別居した。これが、2012年末。
2010年の父の他界から、現在の2014年まで、私たち家族の代替わりが起き、多少の波風が立ちながらも、それなりの進展を示した。
娘は勤務先が忙しいらしく、8月もまとまった休暇が取れず、週末に帰宅した。
わが家で熟睡している。
娘にとって、わが家は実家となった。
こうなって初めて、父がかつて実家でどのように私を待っていたかの心境が理解できるようになった。
まだ半人前の社会人でしかない娘の成長を見守り、ときには助言し、励まし、自分自身の仕事を進める、そういう段階に私も入った。
このお盆には、特定の宗派にしばられないわが家流のささやかな祭壇をしつらえた。笑顔の父の遺影の前に、日本製とラトヴィア製の、いずれも小さい猫の置物を一つずつ手向けた。父は大の猫好きだった。その横には金色の蓮の飾り物一対。
かなたからほほえむ父に風涼し 夏石番矢
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この記事へのコメント
花田
前回のコメント失礼致しました。
夏石先生が記事とのマッチングを考えてコメントの非公開及び削除全く問題ありません。気兼ねなく非公開削除して下さい。夏石先生が良いと思われる物のみ残して下さい。これからもブログ楽しみにしています。このコメントも削除して下さい。
花田心作
Fujimii