古事記ノート(24) 阿曇族について

時差ボケでひたすら眠い。起きているとき、阿曇(あずみ)族についての本を2冊読む。屋根裏部屋整理のとき、3冊見つけたうちの2冊。

北九州から安曇野にやってきた阿曇族。有明、志賀という地名を伴い、海洋神である綿津見三神、朝鮮半島からの弥勒菩薩信仰を伴った。八という数を重んじる。からだに刺青もしていた。祖神の磯良(いそら)は、蛇か鰐。対馬、伽耶(加羅)とも関係が濃い。黒潮(対馬海流)とも縁の深い人々。中国南部や東南アジアにルーツがあるらしい。

古代の阿曇、宗像、住吉は、いずれも海神三神を祀る。覇権争いもあった。住吉だけは氏族集団ではないようだ。

阿曇は、あまつみの転訛。宗像は、胸の刺青を指す。住吉は、すみの江から。名称から、一番古いのは、阿曇、次が宗像、そして住吉の順だろうか?

阿曇比羅夫は天智天皇に派遣され、白村江の海戦で敗北し、戦死した。

阿曇の神、綿津見の息子が穂高見の神。これが信州・穂高の語源。

『古事記』では、住吉三神と綿津見三神が同時に、イサナキが黄泉から帰っての海での禊から生まれたとする。

これは、この2種類の海の三神が、朝鮮南部と北九州にまたがる地域で信仰されていたことを暗示するのだろう。

  大海原の点三つから命の王国  夏石番矢


参照
古事記ノート(23) 序文の「天皇」と「皇帝」
https://banyaarchives.seesaa.net/article/201306article_14.html

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Tracked: 2013-11-27 20:51