「俳人を作ったもの」という「鷹」誌のインタビュー企画。
いろいろなことを話した。まずは、私の生い立ちや俳句遍歴。投句はしなかったが、「鷹」誌を購読したことも。
また、日本の出版メディアは、変化の激しい世界情勢をとらえられず、既得権益の死守か、無効になったパターン反復しかできず、それが日本と日本人に著しい不利益を生んでおり、俳句も例外でないこと。
1996年から1998年まで、パリで在外研究生活を送ったとき、自分自身も推進役を務めたけれども、俳句はますます世界各国に広まるが、そういう事態に日本の俳人や俳句団体は対処できないことも予想できた。
また、当時、パリやニューヨークで実際に会った日本メディアの海外特派員は二次取材しかできず、日本のメディアには基本的に国際的視野は存在しないことも知った。
たいしたメリットのない日本の俳壇を若手俳人は乗り越えて、国内でもっと活発に活動し、海外のイベントにも参加してほしいこと。俳句はすでに、日本のものだけでなくなっているのだから、俳句観を根本的に変えなければいけないときに来ているが、それが理解されていないこと。
日本人、日本の俳人の使命は、世界的に十分あるのだが、それが何か、日本国内では見えなくなっていること。
俳人では、金子兜太や森澄雄は信頼できず、飯田龍太や高柳重信のほうが、いまも価値があること。むろん、角川俳壇は何の意味もない。
安倍自公政権は、こびた米国から相手にされない政権。
その他もろもろ。
このブログのことも話題に。このブログは、私の日常がこれまでの日常でなくなっている状態を基本に、その上でこれまでの日常詠と違う俳句を作ることが、たとえ駄句しかアップできなくても、大切だと気付いた結果、なるべく毎日更新しているとも。こう書きながら、次にどのような俳句を即吟できるかという不安とスリルがある。
高柳克弘さんを、「高柳さん」と呼ぶと、かつて、唯一の俳句の師、高柳重信を、「高柳先生」とは呼ばずに、「高柳さん」と呼んでいたころの記憶もよみがえり、この二人には近い血縁関係はないけれども、奇妙な感触が残ったし、若いころが確実に過ぎ去ったことも感じた。
白富士見えない空地へ白富士まなざし送る 夏石番矢
俳句関係者のみならず、各分野で、日本人が、自分たちの可能性に気が付かないようにされているのが残念だ。
俳句の海で 「俳句研究」編集後記集 ’68.4?’83.8/高柳重信
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著者高柳重信(著)出版社ワイズ出版発行年月1995年09月ISBN9784948735347ページ数
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