今回の帰郷の目的の柱、8月20日(月)昼、神戸市灘区篠原北町の篠原墓地の、乾家代々之墓での改葬、納骨、読経、礼拝などを終えて、安堵感と静かなむなしさを感じた。
この墓のカロート内部を、意識的にまた祭主として見たのははじめて。御影石材店T・Mさんの助けを借り、一連の墓の儀式はスムーズに進行。炎天下、大きな日傘を差しての作業。
意外なのは、二つの骨壺以外に、DaiDoのお茶の缶のプラスチックの袋に入れられていたもの。この存在は、事前に同石材店から教えてもらっていた。1993年暮れのこの墓の改修時に収められたもののようだ。
そのお蔭か、1995年の阪神・淡路大震災のさいには、無傷だった。むしろ、新しい墓が壊れていた。
ところでプラスチック袋の中身は、浅い木箱の残骸のような木片、ガラスの皿の破片2つ。そして、出てこないと予想された小さな遺骨。誰のものかは不明。祖母の乾せいの骨だろうか?
つまり、この墓には、確認できたかぎりでは、3体の遺骨が収められていた。
これに、相生市から持参した3体を加えた、合計6体の遺骨を、すべて晒しの布に包んで、カロートに収め直した。
富士市から来てもらった、M・Nさんに、お祓い、お清め、読経などを墓前でとりおこなってもらい、宿泊先の相生市からやってきた私たち乾家3人が礼拝をすませる。
左右に、廃墓になり、更地になった墓域もある。まわりは高級住宅地。神戸港がここからいまも見える。
この篠原墓地には、子どものころから父に連れてゆかれた。その父も亡くなり、曽祖父、祖父、不明1体、父母、私たちの水子(長男)の6体が、2012年8月20日正午前に揃って収められた。
それぞれの生きてきた時間は、どこへ消え去ったのだろうか? そのような時間は、あったのか、なかったのか、それすら不分明。
日本的無常観の悲哀の影は、どこにもない。
命六つの墓を港の太陽で封印 夏石番矢
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ようやく食欲出る
Excerpt: このところ、体重、体脂肪率ともに、近年で最低を記録していた。原因は、いくつか考えられる。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2012-08-23 11:12
この夏の痕跡 顔の日焼け
Excerpt: 冷夏と予想した2012年年の夏は、7月下旬から8月いっぱい、すさまじい猛暑。8月中旬の兵庫県帰郷では、関東より強い日差しをもろに浴びた。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2012-09-07 19:31
祖父の命日
Excerpt: 9月12日は、1967年に亡くなった祖父乾源蔵の命日。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2012-09-12 18:35
防草工事した乾家の墓
Excerpt: 11月17日(土)、神戸市灘区篠原北町の篠原墓地にある乾家の墓に参る。数日前、御影石材店に防草工事を施工してもらった確認も行なう。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2012-12-04 17:07
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