相生市の次姉に電話したところ、たつの市で入院中の老母の病状は、すぐにどうこうという状況ではないようだ。先週は、4~5日と医者から告げられたのだが。今回、あと3週間と診断書に書かれた。わが母は最後まで粘り腰。
したがって、わが家は、年末年始のスケジュールが立たない。年賀状も購入していない。お節料理も注文できない。これもしかたないこと。
老母一人とのお別れの手順は、それなりの時間と段取りが必要らしい。
私は、黒のマフラー、黒のコートを買った。また、首回りが大きめの白いシャツも買った。いまは、喪服とコートを寝室の壁に掛けてある。
たぶん、この年末年始は、喪服を持参してゆっくり田舎で、一家三人が過ごすことになるのだろう。
生家も消えて母も消えれば私は霧か
吊るされた喪服の光窓に凩
記憶と忘却せめぎあう喪服
安心の黒へと歩む老母の冬
われら熟睡 母の喉首は激戦地 夏石番矢
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老母の回復と秩父行き
Excerpt: 12月12日(土)夕方、赤穂市の長姉に電話すると、入院中の老母が、ゼリーを口にできるまで回復したとのこと。元の介護施設に戻れるかもしれないと告げた。うれしいが、11年間、世話をしてきた姉たちは、まだま..
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2009-12-13 00:26
この記事へのコメント
Tomo
Fujimi
ザッコ
肉親をおくるのは、一つの事業だと私は聞かされました。