其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。
これが『古事記』の原文。
まず、最初に成った島、おのごろ島に、「天の御柱」と「八尋殿」があることは明確。
しかし、「天の御柱」と「八尋殿」を「見立てる」という表現が、繰り返されていて、それでは、「天の御柱」と「八尋殿」がどういう位置関係にあるのか、一切説明がない。また、「見立てる」というのは、どういう行為を意味するのだろうか。『古事記』は、綿密に読むと、謎の多い書物である。
私はこう考える。「天の御柱」と「八尋殿」は、分離したものではなく、つながったものだろう。八尋殿という建物の中心の柱が、「天の御柱」と呼ばれる、世界の中軸や世界樹の一種。
本居宣長『古事記伝』は、「見立てる」の「見」を、「其ノ事を身に受けて、己が任(ワザ)として、知リ行ふ」としている。
私は、もっと「見る」という動詞の意味を文字通り強く受け取りたい。「見立てる」は、二神の意志あるまなざしによって、「天の御柱」と「八尋殿」がたちどころに立った、生じたということを指すのではないか。塩水が固まったおのころ島にはまだ、樹木も生えていないはず。二神の手作業では、「柱」も「殿」も立てられはしない。
後世、日本文化に「見立て」という概念が生まれるが、この「見立てる」はそれとは別だろう。
二神のいわば「目力(めぢから)」が、世界の中心をたちどろに生じさせたのは、説明を欠いた飛躍とも考えられるが、それが二神の超絶した行為としてふさわしいと思う。
まなざしで高い柱を立ててそれから
日月はなく柱を生み出す神の目力 夏石番矢
参照
『古事記』ノート(8) おのごろ島生成
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200811article_25.html
この記事へのコメント
kika
天の御柱と八尋殿は、古代ユダヤ教の神殿入り口に必ず立っていた2本の柱、神殿はヤハウェ(八尋=やひろ)神殿。列王記でも、ソロモンのエルサレム神殿の仕様が詳細に書かれていますが、この通りであり、イザナギとイザナミは、入口の柱の間を抜けて神殿に入り、儀式を行ったのでしょう。それであれば柱、神殿の順に「見立てた」ことになっているのは理にかなっています。
kika
「列王記・上」に柱はいろいろと出てきますが、7章の15~22節にある、名前付きの聖なる柱が天の御柱に相当すると思います。
Fujimi
Fujimi