B・H・チェンバレンの英訳では、本文の始まりは、
The names of the Deities that were born in the Plain of High Heaven......
であり、最初の主語が、"names"。つまり「名前」。これは、案外重要である。
紀元前18世紀に成立した古代バビロニアの『エヌマ・エリシュ』(Enûma Eliš)は、「上では天空が命名されず」で始まり、ここには、シュメールの唯名論が反映しているとされる。
『古事記』は、「(前略)神名」「天之御中主神」が、最初の文章。その後、神の名前の列挙となる。名前にこだわり、名前を重用視する書物であり、これは唯名論的な宗教を持つ人々の書物。『日本書紀』では、その特徴が薄れる。『風土記』でも、土地の名付けが重要視され、唯名論的特徴が顕著。
唯名論は、日本では言霊信仰として親しまれている。名前やことばに、この世やあの世を動かす力があると信じる考え方である。唯一神の名前をみだらに呼んではいけないとする旧約聖書にも、その影は見られる。
その唯名論的神話のトップを飾る天之御中主神を、作られた神としているのは、折口信夫だが、その影響が強いのだろうか。
次に、この最初の神に対する私の考えをまとめておきたい。
夢千夜天と地との種なる名前 夏石番矢
参照
『古事記』ノート(2) 天之御中主神は不在?
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200805article_26.html
『古事記』ノート(1) 革命者としての天武天皇
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200805article_11.html
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