Y・K君は淳心学院を途中で退学した。淳心学院高校時代、乾昌幸は、彼と反っ歯の先輩ともに、総評の集会に一度だけ行って、歓迎されずに帰った。姫路城南の大手前公園がその舞台。日本の左翼はダメになると思った。
また、沖縄返還の前に、ガリ版刷りのビラを作って、淳心学院で撒いた。このビラは手元に残っていない。これが出てくれば、貴重な資料となる。誰か持っていないかな?
Y・K君は、植田規夫(西原天気)君のブログで遊んでいたらしい。そこからこのブログに到達。彼も植田君と同じように、売れない編集者をやっているそうだが、ベストセラーも出したとのこと。夏石番矢による「週刊俳句」批判以来、植田君はY・K君に返事をしなくなった。やはり「猿の俳句マスターベーション」だった。
その植田君が淳心時代に作った句で、いまでも覚えている一句がある。植田君らしい一句。われらが恩師、福本泰雅先生がほめた。
山奥で天狗が茸を喰っている
ところで、Y・K君からは、当時の左翼や新左翼について教えてもらったし、その左翼や新左翼のインチキも、幼いながら感じた。こういう恩義がY・K君にはある。
のちに勤務先のM大学で、この大学に根を下ろす左翼集団の政治的愚劣さに、心身ともに消耗した。私もこりない人間だ。
いまの日本は、右翼もぼろぼろ。左翼もぼろぼろ。借り物の思想よりは、権力闘争戦略や現実対処能力が必要とされる。
Y・K君は政治志向をやめたと、メールしてきたが、彼の論理にはかねて甘さを感じていたので、意外ではなかった。しょせんは、やや早熟なお坊ちゃんのお遊びだった。政治はすさまじいものだが、国民ひとりひとりがもっと参画すれば、変革可能な分野でもある。
さて、Y・K君は第15回生の飲み会に出席したいとのこと。これから会えるだろうか? 幹事役のS・K君のメールアドレスを彼に教えた。
政治を知らず政治を語りし青葉の城下 夏石番矢
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