序
太安萬侶による漢文。
第二段で注目すべきは、「飛鳥の清原の大宮に大八州御しめしし天皇」、つまり天武天皇を、古代中国流の革命者として、賞賛していること。
天智・弘文王朝軍を「凶徒」と表現しており、そこから放たれた毒気を、「気沴」と書く。またさらに、壬申の乱を殷周革命になぞらえ、天武が「華夏に帰」るとする。そして、天武天皇の徳が、黄帝、周の文王といった古代中国の革命者をしのぐと賞賛する。
日本のアカデミズムは、天智と天武が兄弟であることを疑えなかったが、在野の日本古代史家には天智と天武が兄弟ではなく、別系統の朝鮮の王族か貴族と考える人がいた。壬申の乱は、朝鮮半島と東日本を巻き込んだ王朝交代、革命である。そう解釈すると、この序文がすんなり理解できる。
「諸家」が所有する「帝紀」、それらが「正実に違ひ、多く虚偽を加ふ」と述べるのは、日本の統一王朝、そして統一王朝の記録が、天武以前には明確には存在せずに、多くの「帝紀」が並立していたことを暗示しているようだ。天武が生きているあいだに、統一された「帝紀」が完成しなかったのも、辻褄合わせが困難だったからではないか? この「諸家」は、諸王朝、諸王国を意味しているのだろう。
『古事記』の序は、案外、本音を漏らしている。
青葉若葉は消えた書物を思わせる 夏石番矢
参照
2008年度明治大学法学部ゼミで『古事記』を読む
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200801article_24.html
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ザッコ
Fujimi
三毛猫