中上健次が生前よく口にしていたのは、「日本の阿呆編集者」ということばだった。なるほどと、理解できることがある。角川書店のK・Uは、中上担当だったが、中上健次から、このK・Uの名前を一度も聞いたことがない。このK・Uが、のちに「俳句」という雑誌を編集し、どんどん売り上げの坂を右肩下がりにしている。
また、毎日新聞社の「俳句α」編集部は、姥捨て山。S・I編集長は、入院中の久間にそっくり。意味不明の日本語をもらす男。今後一切関わりたくない。時間の無駄。
阿呆が集まる事務所に鴉も寄り付かぬ 夏石番矢
参照
俳句雑誌編集者のレベル
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200711article_2.html
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「俳句研究」の季刊化と原稿料なしの無責任さ
Excerpt: 「俳句研究」が季刊となり、原稿料なしの投稿雑誌となる。 いいかげんにしろ! お前ら、アホ編集者や、アホ俳句アマチュアのおもちゃにするな!
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2007-12-23 04:05
俳壇の中心はどこにあるか?
Excerpt: T新聞に、俳句月評を書いているY・Sさんと、昨夜電話でお話した。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2007-12-24 02:00
「日経新聞」より記事依頼
Excerpt: 「日経新聞」から、日曜版「随想」の記事依頼電話があった。世界俳句協会の創立以後7年についての記事依頼。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2008-02-06 16:24
日本語の問題 俳句の問題 月刊「俳句」廃刊予想
Excerpt: 日本語について語るには、日本語以外について知らなければ、何も言えない。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2008-06-21 01:02
この記事へのコメント
獅子鮟鱇
出版俳句の右肩さがりは、出版俳句が未来を先取りできないからです。去年の古着を集めたファッション雑誌のごとし。去年、新しかったからといって今年も美しいというのでは、売れるわけがない。そして、それは、編集者の責任。
だから、阿呆とは、美には必ず未来があるということを知らず、未来を語れない者を言う。
土田由紀