8月23日夜、内モンゴル・フフホトに到着し、翌24日、内蒙古大学内蒙古学学院で俳句についてのシンポジウムに出席したのち、午後、フフホト市内の内蒙古博物院を訪れる。空は晴れて、かなり暑い。純朴なモンゴル人の若い詩人バトナサンさんが、大きな博物院を案内してくれた。
この博物院は、市の中心から移転し、広大な敷地に新築されたもので、展示物も多い。博物館のカタログがないので、記憶をすべて確認できないが、匈奴の文物を熱心に見た。匈奴は、モンゴル人の祖先である。
匈奴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4
匈奴は、漢民族に先立って、紀元前から鉄器を使用しており、野蛮な人たちではない。彼らは文字を持っていなかったので、漢民族によって歪曲されたかたちでしか記録に残っていない。匈奴は、かなり高い文化を持っていた遊牧騎馬民族だろう。
内蒙古博物院に、金と銀で作られた匈奴王の王冠が展示されていた。美しい王冠だった。頭のてっぺんに位置するところに、翼を広げた鳥が一羽載せられていた。鷲ではなく、もう少し小さい鳥の金細工である。キリスト教の鳩を私は連想した。キリスト教では鳩は、天の聖霊を地上へ運ぶと考えられていた。夕食会などで、フフホトの大学の先生たちに、この王冠について尋ねても、あまり明確な答えは返ってこなかった。
もう一方で私は、この匈奴王の冠から、神武天皇の金の鵄(とび)を思い出した。モンゴルにも鳶はいる。神武天皇の臣下には天日鷲命(あめのひわしのみこと)がいたし、モンゴルでは現在も鷲の舞いがある。
匈奴と古代日本とのつながりは、朝鮮半島を経由して、必ずあると私は確信している。このことについて、かつて駐日ブルガリア大使を務めた人が東京にやってきたときに、話を聞いたことがある。西匈奴がブルガリアへ、東匈奴が日本へ移動したという話である。
炎天や匈奴の王冠に鳥一羽 夏石番矢
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Tracked: 2008-04-13 20:34
この記事へのコメント
土田由紀
宮城谷昌光 紹介します。
http://www1.ocn.ne.jp/~matsuo3/books/_miyagitani_sakuhinr.htm
(c&pで貼り付け)下さい。
ほとんど 読んでおります。
匈奴は風の民、すばやさと勇気を持つ民。
中華の国の、覇王決戦、戦国時代。
どの時代においても匈奴は 恐れられていた
ようですね。
中華から追われ… 韓国へ… 大和へ
と、そんな物語も、入っております。
見つけてください。
宮城谷の世界を お楽しみ下さい。
霊的な 素養のある 夏石番矢さまへ
Fujimi
土田由紀
http://www1.ocn.ne.jp/~matsuo3/books/_miyagitani.htm
これで いかがでしょう?
宮城谷昌光 作品集 へ 飛ぶはずです。
もしくは、Googleで 宮城谷昌光 と
いれて 下さい。