笛吹峠の桜と悲劇

埼玉県の嵐山町と鳩山町の間に、笛吹峠がある。
桜の名所なので、タクシーで行ってみたら、もう桜は散っていた。






この峠は、それほど高いところにはなく、小高い丘をなしている。かつての鎌倉街道の跡のようだ。

山賊や追いはぎが、むかしは出たと、観光タクシー会社のタクシー運転手さんが、教えてくれた。

ここを通るのをいまでも気味悪がる人がいるとも聞いた。現在は、道の両脇も、きれいに整備されているが、このあたりで1352年に、南朝と北朝の間の戦争があった。そのさい、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねなが)親王が笛を吹いたので、笛吹峠の名がある。

鳩山町に突き抜けると、のどかな田園。だが、タクシーで嵐山町へ引き返すと、神社や寺が両脇に並んでいるのに気づく。竹藪があったり、畑があるが、ただの田舎ではない。いささか奇妙な場所だ。こういうところでは、写真は撮らないことにしている。

源(木曽)義仲の父親の、源義賢の館、大蔵館跡は、大蔵神社となっている。このあたりの合戦で、甥の源義平に襲われて、殺された。義仲は、この合戦後、乳母の中原氏のつてを頼って、木曽へ逃げる。

もう少し進むと、霊感のある住職が住む寺があり、繁盛しているらしい。巨人軍や芸能人、政治家がお忍びで通うらしい。その他、いくつかいわれのある場所があった。

ここから、畠山重忠が館をかまえた、菅谷館跡までは近い。この実直な坂東武者も、北条氏に謀殺されている。

鎌倉と武蔵、上毛を結ぶ動脈には、悲劇の痕跡が点々と残っている。

    笛吹峠の桜散り果て人いずこ   夏石番矢

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