前に訪れたことがあるがとうか、いまひとつあやふやなまま、埼玉県比企郡嵐山町川島の、鬼鎮神社(きじんじんじゃ)へ、4月4日に一家三人でお参りした。
途中、なんとなく見覚えのある道があるので、かなり前に、たぶん十数年前に、ひとりで歩いてきたことがあるだろう。そのときは、私もまだ三十代だった。
かつては田舎という感じだったが、建て替えた家や分譲住宅が、今回は途中で目立った。
桜は、今年眺めたもののなかで一番美しかった。
この神社の由緒には、納得できないところがある。本の記述などは、だいたい同じ。
鬼鎮神社
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/7644/
上のサイトから引用してみる。
「畠山重忠が菅谷館を築造したときに、城門大手の東北、すなわち艮(うしとら)の方角に厄除け守護として祭ったものと伝えられ、古くは鬼神社と呼ばれた。
祭神は衝立船戸神(つきたつくなどのかみ=道祖神の発展したもの、イザナギノミコトが悪魔を打ち払った杖の事)と八街比古命(やちまたのひこのみこと)」。
これらの神々を祭っている神社は、稀有。作りものめいた、嘘くさい由緒だ。
節分に「鬼は内」と唱えるこの神社では、「鬼」が祭神。封じられ、嫌われる鬼ではない。拝殿に掲げてある鬼の絵にも、愛嬌がある。
鬼鎮神社
由緒
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/7644/yuisho.html
鍛冶屋と鬼の伝説が残っており、これが畠山重忠以前の起源を暗示しているように思う。
桐の神紋と、拝殿正面の鳳凰の立派な彫刻も、この神社の起源と関係しているのではないか。桐と鳳凰は、「皇后」のシンボル。
鍛冶屋と鬼の伝説ならば、目一つの鬼、一名で天目一箇命(あまのまひとつのみこと)、つまり鍛冶屋の祖神が、本来のご祭神というとになる。鉄でできた金棒が奉納されているのは、そのためだろう。
どうやら、朝鮮系の鍛冶集団が、古代のこの地方にいたようだ。近くを流れる都幾川の「とき」は、古代朝鮮語。
また、鳥居付近の石碑に、大工が奉納した石碑があり、そこには忌部氏の祖神、手置帆負命(たおきほおいのみこと)の名も彫り込まれていた。これは、航海もしくは船大工の神だろうか。天目一箇命も、忌部氏の祖神。
神紋と鳳凰は、あとからこの神社に来た要素だろうとも思うが、女神の影がもっとこの神社にあっていいはずなのに乏しいのは、納得いかない。
この神社の境内には、とてもいい雰囲気が漂っていた。娘は、二年後の大学受験の合格祈願をした。鍛冶は、古代人の英知やハイテクの象徴と考えれば、あながちこじつけの祈願ではないかもしれない。
愛される鬼は泣いたか大ざくら 夏石番矢
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント