このほど、妻の鎌倉佐弓あてに、
俳句朝日「休刊のお知らせ」
が届いた。事実上の廃刊である。
1995年5月1日に、朝日新聞社から創刊されたこの「俳句朝日」は、何を残したのだろうか。
創刊号に対して、
「俳句朝日」創刊号に対する抗議声明
を、俳文学者復本一郎氏や当時の仲間約120名と送り付けた私としては、いささか思うところがある。
「麻薬及び向精神薬取締法違反と関税法違反」、さらには「業務上横領」の疑いで、刑事被告人だった角川春樹の特別作品「敗れざる者」100句を、俳句の目玉として創刊された「俳句朝日」。この角川春樹には、有罪判決が下され、実刑が確定し、彼は服役した。
「疑わしきは罰せず」だとしても、「俳句朝日」創刊の俳句の目玉に、刑事被告人しか使えなかった編集長には、見識があったのだろうか。
私たちが、抗議声明を出したのは、「俳句朝日」創刊時の編集長大崎紀夫の俳句に対するこのような見識の低さが、最大の理由だった。編集サイドは、刑事被告人の俳句掲載で話題を生み、売ろうと狙い、刑事被告人サイドは、判決に対するよい影響を狙ったのではなかったか。俳句の出版とは、この程度でいいものなのか。
「楽しみながら上達する!」というキャッチコピーが、この創刊雑誌の表紙に印刷してある。この12年間で、何人の初心者が上達して、すぐれた俳句を生み出したのだろうか。
俳句は、娯楽であってもいいが、世界的な視野からは、日本文化のエッセンスであり、さらには、世界の人々と心を通わすことのできる詩のエッセンスでもある。
「俳句朝日」は、朝日新聞社というマスメディアの力を過信し、俳句の初心者をみくびって創刊された。その結果が、12年後に出た。もっと創造的な結果を生むことはできなかったのか。
俳句は、それを受け取る人の心を試す、真っ正直で恐ろしい鏡だ。「俳句朝日」に限らず、あまり実りのない雑誌や本が、俳句をめぐって生産されても、消滅するだけだろう。
ちなみに、毎日新聞社の「俳句あるふぁ」が、朝日新聞社の「俳句朝日」よりすぐれているのかどうか、私は関心がない。
俳句雑誌を出版せず、新聞第二面に、元社員K・Hによる俳句らしきものをこねくりまわすコラムを連載している読売新聞社が、上記二社より賢明なのかどうか、私にはどうでもいい。
追記
朝日新聞社出版部とは直接関係がない、朝日カルチャーセンター・立川の07年冬の講座を、3月31日に開講します。
朝日カルチャーセンター・立川 07年冬の講座
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200611article_10.html/
この記事へのトラックバック
「俳句総合誌」2誌の廃刊についての感想
Excerpt: 今年はほんとうに変動の年だ。半年が終わり、「俳句朝日」と「俳句研究」2誌の休刊、事実上の廃刊のニュースが飛び込んできた。ここで感想をまとめておきたい。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2007-07-02 02:46
日本語の問題 俳句の問題 月刊「俳句」廃刊予想
Excerpt: 日本語について語るには、日本語以外について知らなければ、何も言えない。
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2008-06-21 01:13
この記事へのコメント
Fujimi
風花
ものを作る前に人をつくる
いい人材からしか
いいものができないからだ
Fujimi
Fujimi
日本のマスメディアは、世界でも最下位を争うグレードです。それにだまされる人たちは?
黒猫