1月17日、パリからチュニス行きのエールフランスの直行便で到着し、チュニス近辺を回った。
誰に勧められたかは忘れたが、チュニスからアフリカ随一のイスラムの聖地ケルアンへ行くことになったのは、1月19日。この日の朝から夜にかけて、タクシーで片道130キロ、往復で260キロを移動した。
旅程は、ほぼ一直線の南下。平坦なステップ地帯を、ひたすら進みに進んだ。はじめてのアフリカ旅行で、未知の土地を目指す旅。タクシーの前を、ISUZUのマークを付けた自動車が走っていると、少しは心が落ち着いた。
大モスクへISUZUの瑠璃色の車 夏石番矢 (『地球巡礼』、立風書房、1998年)
ときどき遠くに山や丘や集落が見えても、基本的には平坦で単調な風景が見渡すかぎり続く。大地の色は赤い。しかし、それよりも広いのが空。この空の青さも、底なしだ。空気は乾燥していて、車の排気ガスのせいか、土ぼこりのせいか、のどがいがらっぽくなる。
たぶん、片道は約3時間かかったのではないか。朝9時過ぎに出発して、ようやく昼ごろに聖地ケルアンに到着した。1月とはいえ、太陽光が強烈だ。ケルアンの北の入り口付近にある池は、タクシーの運転手によると、水時計らしい。
その池の縁に、一人の老人が座っていた。水時計の番人だと、タクシーの運転手が教えてくれる。その老人に、こちらが挨拶すると、ほほえみを返してくれる。日に焼けた顔に刻まれた皺は、驚くほど深い。そこに、北アフリカを感じた。
鉄の皺聖地の水時計の番人 夏石番矢(『地球巡礼』)
後日、本で調べると、この池は、アグラビッド貯水池(Le Bassin des Aghlabides)。9世紀に作られたケルアンの水がめ。池は大小ひとずつある。私が見たのは大きいほうの池。水時計との記述は、どの本にもない。けれども、まん丸の人口池が、水時計だといまも私は信じているし、あの老人が水時計の番人にとどまらず、ケルアンの地霊と思い込んでいる。
この記事へのコメント
風花
Fujimi
なぜ、水時計と説明してくれたのか、いまだに不明です。