わが墨書2006年回顧(1)

このサイバー時代に、毛筆や墨がお払い箱入りかと言うと、その逆だった。むしろ、万年筆が使われなくなり、干からびてしまった。

プリンターによる印刷が頻繁に使われ、手書きはほとんどポールペン。毛筆は、大事な俳句などを書くときに、しばしば使うようになった。

サイバーは中途半端中なもの、たとえば万年筆などの存在意義を無化している。これは、中途半端な本や雑誌が不必要になったりするのと同じ現象で、サイバーは、中途半端なものの存在を希薄化し、簡便で迅速なものか、貴重で悠長なものか、いずれかの極を、私たちに選ばせる。

まず元日に、色紙を書いて、一階の和室に鏡餅と一緒に飾った。2005年11月に訪れた、ニュージーランドの首都ウエリントンでインスピレーションを得た句を、日本語とその英訳ともども墨で書いた。黄色い輪も色紙の中心に描いたので、墨書ではなく、俳画とも言えるだろう。

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また、1月9日には、日本での研究を終え、故国内蒙古へ帰る斯琴朝克図さんの送別会に、句に簡単な図を添えた色紙を贈呈した。

R・スチンチョグト氏送別会――俳句との出会いから
http://www.worldhaiku.net/news_files/events/japan/ChaoketuSiqin/c.siqin.htm
内蒙古詩人、斯琴朝克図さんとの再会
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200611article_6.html

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この俳句は、英訳でも評判がよく、モンゴル語訳も、斯琴さんや富川力道さんのおかげででき、内蒙古の雑誌「シリンゴル」に発表された。

http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/anthology/banyashilingol.htm

シリンゴルは、斯琴、富川両氏の故郷を指す地域名。斯琴さんの送別会も、東京のモンゴル料理店「シリンゴル」で開いた。ここでは、モンゴル料理とともに馬頭琴の生演奏が楽しめる。

http://www.e-food.jp/restaurant/visit/shilingol.htm

結婚する甥のA・Hに、2月に贈ったのが、吟遊のサイトにもアップしてある色紙。

http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/calligraphy.htm

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結婚式ではじめて花婿の親戚代表としてスピーチし、そのさい、甥夫婦に手渡した。私がスピーチしているあいだ、甥は私が脇に抱えている色紙をじろじろと見つめていた。
この結婚式では、小学校時代の同期生と、卒業以来38年ぶりで再会した。

ふるさと相生のこと
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200610article_24.html

今年の墨書でとくに目立つのは、3月に鳥の俳句50句を、1句ずつ50枚の色紙に書いた仕事。これは、来年春、ハンガリーで出版予定の、エヴァ・パパイさんの水彩画と組んだ本になる。完成した色紙を50枚郵送したが、結構重かった。その重さが、この仕事のハードさを物語っている。
2枚の色紙をご紹介しておこう。

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私はプロの書道家ではない。下手であっても、作者自身のエネルギーを作品の墨書に示せればそれでよいと考えている。それにしても、そのときの私の心身の状態を、恐ろしいほどはっきりと墨書は形象化する。

ワープロを馬鹿にして、かつては万年筆でしか原稿を書かなかった私は、2000年からパソコンのキーばかり叩いている。その反動だろうか、なぜか万年筆ではなくて、ときどき毛筆で書きたくなる。万年筆は、日本人にそれほど深く浸透した筆記用具ではなかったようだ。もっと根深い文化的遺伝子が作動して、私に毛筆を握らせるのだろう。

必ずしも、自分で満足できる完成度の墨書ばかりではなかったが、集中的に色紙を書いたことが、今後生きてくると信じたい。

この記事へのコメント

  • 風花

    太陽であり、禅の悟りの象徴でもある円相なのでしょうか。
    凄い、エネルギーを放っていますよ!
    2006年12月28日 23:52
  • Fujimi

    お褒めのことば、感謝!
    悟りなどまだまだ。一生学習です。
    2006年12月29日 10:06

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