実際に八木三日女と出会ったのは、第3句集『落葉期』出版直後だった。この句集は、何度も何度も読み、数々の引越しをへて、いま富士見市のわが家にある。カバーは、かなり傷んでいる。
読み返してみると、私の初期の句に漠然と影響を与えているように思える。
『落葉期』、 著者八木三日女、昭和49年(1974年)10月1日発行、発行所牧羊社、定価1300円、216ページ。
私は当時、必ずしもすべての句を理解できなかったが、句集の最後を飾る句が気に入って、著者に句集の見返しに揮毫してもらった。
この筆さばきに見られるように、八木三日女の教養には、オーソドックスな関西の伝統と日本の伝統があり、それを基盤として現代的な冒険や展開がある。
『赤い地図』では奥に隠れていた、日本の伝統や古代への思慕が、『落葉期』の一つの軸となっている。
乱れ髪糸繰車その果ての
銀河太し古き絵巻の怨み秘め
地獄草紙の炎の舌の言の葉よ
看とりわれ葵の上の髪炎えや
遠雷の大和三山薪能
ひぐらしの序曲焚く火の能舞台
おんおんと森の膨張女舞
ははそはのははの紫水晶透く
島生みよかの落涙の赤い実よ
遠砧母系の池の水鏡
みのむしないてちちよそのまたちちよぢぢよ
もう一方で、高度経済成長期の日本の変貌に、現代的抒情を見出だしている作品もある。
シケイロスの拳を沖に八幡町
流星や陸をつくりに来た男
煙突の林まつすぐ星落ちよ
噴水の虹鉄神のオルゴール
ツートンカラーのエレベーターの胎内下降
無人遊園地ハスキーな声のこる
屍臭かすかなビルの谷間にはばたくベル
落葉期地下急ぐいつのまに鱗生え
この『落葉期』でめざましい成果だと私が評価するのは、八木三日女が自らの奥深い情念を、単純化して結晶させた次のような俳句である。情念が、ことばの知的操作によって、明確化され、読者の心身に響いてくる。
火の鳥を呼び芥子の花植えている
密林の紅蔦かずら天探す
いそぎんちゃくの触手めらめら鉄格子
深海魚身うごきすればばらばらに
ずいずいずいころばしげばぼうころがし
眼が痩せて飢千年の樹をつたう
こおろぎの闇水のめば水のにおい
まんじゅしゃげめらめら髪の紡ぎ歌
植物園に棒立ちの愛まつさおな
眼のくまは沼の深さに白鳥座
旅のおわりの肺ばらばらに針葉樹
八木三日女が母として、成長する思春期の二人の息子から得たインスピレーションも、きれいごとだけではない美しさが見られる。
次男の舟帰る夜明けの熔接光
月明の階を降りくる夢精の天使
八木三日女が50歳になった年に出版された第3句集『落葉期』について、51歳になった私が、ようやく覚え書をまとめることができた。私の娘もいま、思春期まっさかりだ。そういう現在、『落葉期』という句集の題がよく理解できる。
この句集の核にある知的情念には、人生の後半に入った女性の、生に対する執着と諦念が渦巻いているのである。
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Excerpt: 「吟遊」第33号(2007年1月20日刊、吟遊社、本体価格1000円、ウェブサイトhttp://www.geocities.jp/ginyu_haiku/)の編集と入稿の大部分を、鎌倉佐弓とともに、1..
Weblog: Ban'ya
Tracked: 2006-12-25 17:31
この記事へのコメント
風花
私の薄っぺらい俳句が恥ずかしい。
Fujimi
その痛快な句を、夏石の句が下敷きにしています。
風花
Fujimi