八木三日女の第2句集『赤い地図』は、騒乱の句集だ。
前衛俳句の最盛期の作品を集めており、当時、話題になった句の貴重な出典である。
この句集は、私がまだ20代のとき、現物を著者八木三日女からいただいた。
昭和38年(1963年)5月1日発行、著者八木三日女、発行所縄の会 堺市綾之町七番地、118ページ、定価300円。飾り気のないケースが付いた小さい本である。
『紅茸』では歴史的仮名遣いだったが、この句集から現代仮名遣いとなる。
この句集の成功作は、私の分類では、4つのグループに分けられる。コメントを付けられる句には付けて挙げてみる。
1 抒情的作品と童話的作品
なめくじに塩ふるわざを祖先より
生活の慣習への感慨と意志。
赤ん坊と無言の刻や星増ゆる
母としての充実した時間。
ふぐのお通りほゝずきがラッパ吹く
楽しい童話的俳句。エロチックな句としても読める。
死にかけた子が黒鬼の絵を画いた
生と死の表裏一体のあやうさと現在の生の貴重さ。
薔薇園を湖色の服で跳ね
近代生活の喜び。
疲れきるまで描きし小鳥とスーパーマン
子どもの活力。
ぼうぼうと老いの童謡しゃぼん玉
老人の童心に漂う詩情。
産卵の亀の涙が溶けた潮
ここにも人生論があるが、まずは、母の産みの苦しみと悲しみの抒情を読み取る。
銀座明るし針の踵で歩かねば
都市生活の気取りと活力。
むらさきに顔枯れて巣の女かな
やつれた女のすさまじい美。
君のメガメ野獣を写しやさしく曇る
男の野性とやさしさ。
奥へ奥へ青芦なびく太初の雲
神話的自然。
マラソンの足扇形に滝の使徒か
スポーツする人体の美。
落葉となる髪アポロンのまぶしい楽器
古代ギリシャへのあこがれ。
2 社会批評的作品
かの死者の股ですそれはタイヤの山
これは、アウシュビッツを連想させる恐ろしい俳句だ。
銭亀と宝石が昔ばなしをする
童話的作品でもあるが、社会批評が読み取れる。
ゆるゆるゆれゆれユートピアさすけむり
理想主義への批判か。
兎唇の太陽を指し平和像
さくらの翼灰の殺意にかぶさりひらく
以上の2句は、長崎での作。原爆への思い。
光ふりまき自由を右往左往の牛
自由にとまどう、田舎者としての日本人への風刺。
テロの谷間俎上のキャベツきゅっきゅと泣く
社会情勢と市民の生活の対比。
爆音に鳩はひろげる火傷の軍手
軍国主義のトラウマ。
ドライアイスけむるよ消された者たちよ
戦死者たちへの追憶。
湖はデスマスク原生林を熱い鋸
環境破壊への批判。
3 人生論的作品
銀髪のそのことごとくきらめく死
夢描き夢喰いやがて浜木綿抱き死す
以上2句は、父の死を通してみた人生観。
ビキニ遠方二児が二児とも反抗期
みの虫が乾く地を這い消えたいママ
いずれの2句も、母としてのぼやき。
4 暗示的イメージ作品
満開の森の陰部の鰓呼吸
生命力に満ちた森の深部の神秘。
吸盤よりラッパにょきにょき乳首を呼ぶ
エロスのコラージュ。
卵に立つ錐瞳孔のくらがりに
危機的心象。
涙より透明な湖沈むトルソー
自然の清浄と静謐。
古鏡火事は牡鹿の瞳の奥に
奈良の光景か。古代の聖域の雰囲気。
とくに、これらの句は、さまざまな解釈ができるので、私の解釈以外も、むろん可能だ。
必ずしも成功を目指していない実験作が林立するなかで、これらの作品は、俳句としてよりも、まず日本語による純粋詩として、楽しむことができる。前衛俳句は、何よりも、日本語によるモダニズムの実験だった。それは、第二次世界大戦で途切れていた日本のモダニズム詩の復活であり、俳句という短詩においては、先鋭化した復活と展開であった。
関西において前衛俳句が盛んだったのは、歴史の厚みを持ちながらも、関西の経済力やそこから生まれる自由と進取の気風が基盤としてあったからだろう。現在では、お笑い芸人は、圧倒的に関西出身。
『赤い地図』の成功作を選びながら、私は1930年代ごろまでのフランス・シュルレアリスム詩との類似に気付く。独創的なイメージを、短い暗示的な表現で追求する。そして、社会批評やさまざまな個人的な思いを、それらのイメージに託す。読者は、自分で自由に解読を楽しむ。
近代俳句研究家、川名大は、前衛俳句はイメージのコード化を行ったので失敗したなどと、見当はずれの難癖を付けているが、これはおかしい。俳句の不幸は、すぐれた批評家がほぼ皆無であることだ。これは現在も一向に改善されない。とくに俳句が世界に広まったとき、世界的視野と教養を持った批評家でなくては、俳句の批評はもはや不可能なのである。
フランスのシュルレアリスム詩人、ポール・エリュアールの1929年出版の詩集『L'amour la poésie』(愛・詩)から、1篇の5行詩を和訳してみよう。
色彩に貪欲な口
口をデッサンするキス
炎 葉っぱ やつれた水を
翼がそのたなごころにとらえる
笑いがそれらをくつがえす
恋人同士の口による、キス、会話などの交歓を、暗喩「炎」「葉っぱ」「水」を使いながら表現した短詩。
かなり八木三日女の『赤い地図』の作品と近い位相にあるのがおわかりいただけよう。
フランス・シュルレアリスムが数行で行ったイメージ主軸の詩的実験を、八木三日女は、さらに短い、俳句で行ったのである。
日本の俳壇は、1970年代以降、種田山頭火ブームとはちぐはぐに、保守化へ向かう。前衛俳人たちも、たいていは穏健化してしまう。昨今は、「高浜虚子がいい」などと、寝言を言う元前衛俳人も出てきた。
実にもったいない。前衛俳句の最良の作品を、英訳や仏訳などして、もっと海外に真価を問えばよかったのではないだろうか。そうしていれば、必ず海外で評価されただろうし、今日の俳壇の総保守化と沈滞化とはまったく違う道が開けたはずである。
私などは、若いころ、前衛俳句の実験を知り、吸収させてもらったおかげで、ヨーロッパの現代詩にさほど驚かずにすんでいるし、自分の俳句を翻訳して、悪くない評価を受けている。
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この記事へのコメント
Fujimi
の句は、八木三日女の次男、志波響太郎氏によると、「実は、米元が炭団の炬燵に入り込んで一酸化炭素中毒で死にかけた時の作品です」とのこと。
「米元」は、三日女長男。