実にたくさんのことを、中上健次と熊野大学に学ばせてもらったが、1998年の7回忌以後、熊野大学に私が参加していないのは、こういう理由からである。機会があれば、また熊野に出かけたいと思う。
中上健次の他界後、1993年の中国の吉林大学へ特別講演に出かけてから、ドイツ、イタリア、フランス、英国、米国、スロヴェニア、マケドニア、ポルトガル、ブルガリア、ニュージーランド、リトアニアで開催の国際俳句イヴェントや国際詩歌祭などに参加したり、いくつかは開催したりした。
そこでは、熊野大学での経験がおおいに役に立った。
また、中上健次がよく言っていた、国際評価と国内の「評判」の、決定的な違いを、国際文学イヴェントで知った。日本でノーベル賞候補と騒がれている小説家や詩人が、国際的にはまったく無名だった。
中上健次は、最晩年、自分がノーベル賞をもらえる、と言っていた。当時、まわりはあまり信じなかったが、彼の挙げた受賞の根拠を箇条書きしてみる。
1 自分は、アジアの被差別民としてはじめて、文学言語を獲得した。
2 川端康成の受賞以後、日本へ受賞の順番が回ってきている。
3 世界的活躍。
4 翻訳のレベルの高さ。
中上健次の小説の英訳本で、タイトルに"Japanese Ghetto"が入ったものがあると知り、彼の言ったことは正しかったと、のちに理解できた。つまり、アジアというマイナーな地域で、しかも被差別民という抑圧された人々の「言語」を、中上健次は世界に提示したのである。こういう視点は、日本国内にいると、ピンとこないだろう。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/1880656396
http://www.amazon.com/Cape-Other-Stories-Japanese-Ghetto/dp/1880656396
中上健次がもう3年生きていたら、大江健三郎ではなく、中上健次へ、ノーベル文学賞はいっただろう。
それでは、海外でフランツ・カフカ賞などの文学賞を受けている村上春樹が、ノーベル文学賞をもらう可能性が、一部の日本の馬鹿マスコミが騒いだようにあるかというと、私の答えは、「ノー」である。まず日本への順番は、20年以上あとだろう。一体、村上春樹が世界に何をもたらしたのだろうか? ただ、国内外の翻訳者や出版社が、もうけようとしたにすぎないし、海外のスノッブたちが、村上春樹の翻訳をかじって、現代日本を知っているつもりになっているにすぎない。2006年に、東京大学が、駒場キャンパスで、村上春樹の国際シンポジウムを開いたが、わが母校も堕ちたものだ。
村上春樹の小説の仏訳者、コリーヌ・アトラン (Corinne Atlan) というスイス女に、何年か前、私はひどい目にあった。まともな人間ではない。辻仁成、俳句、村上春樹など、日本をネタにして、餌にありつきたい下衆にすぎない。
中上健次の没後14年、日本という国も、日本の文学も、ずいぶんとレベルが下がったものだ。日本では、前にもまして、宝石と石ころの区別がつかなくなり、石ころばかりをもてはやしている。
追記
下衆のコリーヌ・アトランから、メールが送られてきた。鉄面皮な女だ。
フランスの出版社ガリマールの横暴とその後(2)
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200703article_46.html
フランスの出版社ガリマールの横暴とその後(1)
https://banyaarchives.seesaa.net/article/200703article_44.html
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