句集『楽浪』には、わが子誕生の喜びと、熊野通いの高揚が交じり合った俳句も少なくない。羽田から南紀白浜へ、飛行機でよく通った。熊野灘上空から、新宮市街地や熊野川がよく見える。その奥には、山々が重なるように控えている。
春を待つ熊野の山は千の牛 『楽浪』
動植物への、新鮮で親和的な共感を、熊野ではすなおに持てた。
なぎの葉を未来のイヴのてのひらに 『楽浪』
新しき鹿を呼び込む両手かな 〃
南北の鳥を迎える青熊野 〃
「未来のイヴ」は、フランスのヴィリエ・ド・リラダンの風刺的な小説の題名。ここでは、生まれたばかりの娘を暗示させた。「なぎの葉」は、女性器のかたちに似ていると、新宮の松根久雄さんが私に言ったことがある。また、「熊野はすべてを受け入れる場所だ」と、中上健次は熊野大学の抱負を力説していた。
地の果ての光の網よみどりごよ 『楽浪』
ひなあそび十津川渓谷白光塵(びゃくこうじん) 〃
熊野の光は、蜜のような透明感がある独特の光。この光でせいで、私の左頬に、三ツ星のようなほくろができてしまった。「みどりご」であるわが娘を、熊野に二度連れていったことがある。熊野では、光が、すべての生命、とりわけ新しい生命を祝福していた。
南の国に雲のしだり尾おびただし 『楽浪』
子守唄霜のとけゆくそのひまに 〃
ときどき自然の荒々しさをむき出しにする熊野も、南国の聖地が持つ、のびやかさ、おおらかさが、きよらかさが満ちあふれているときのほうが多い。天上世界の鳥の長い尾が、この世では、「雲のしだり尾」として、私たちにその姿を見せているかのようだった。
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