熊野・中上健次の思い出(4)

1990年の8月3日には、はじめての子どもが無事生まれた。一人娘である。中上健次の誕生日は、8月2日。私の父の誕生日は、8月1日。8月はじめに、家族と友人の誕生日が並んでいた。

句集『楽浪』には、わが子誕生の喜びと、熊野通いの高揚が交じり合った俳句も少なくない。羽田から南紀白浜へ、飛行機でよく通った。熊野灘上空から、新宮市街地や熊野川がよく見える。その奥には、山々が重なるように控えている。

    春を待つ熊野の山は千の牛       『楽浪』






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動植物への、新鮮で親和的な共感を、熊野ではすなおに持てた。

    なぎの葉を未来のイヴのてのひらに    『楽浪』

    新しき鹿を呼び込む両手かな        〃

    南北の鳥を迎える青熊野           〃

「未来のイヴ」は、フランスのヴィリエ・ド・リラダンの風刺的な小説の題名。ここでは、生まれたばかりの娘を暗示させた。「なぎの葉」は、女性器のかたちに似ていると、新宮の松根久雄さんが私に言ったことがある。また、「熊野はすべてを受け入れる場所だ」と、中上健次は熊野大学の抱負を力説していた。
    
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    地の果ての光の網よみどりごよ       『楽浪』

    ひなあそび十津川渓谷白光塵(びゃくこうじん) 〃

熊野の光は、蜜のような透明感がある独特の光。この光でせいで、私の左頬に、三ツ星のようなほくろができてしまった。「みどりご」であるわが娘を、熊野に二度連れていったことがある。熊野では、光が、すべての生命、とりわけ新しい生命を祝福していた。

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    南の国に雲のしだり尾おびただし      『楽浪』

    子守唄霜のとけゆくそのひまに       〃

ときどき自然の荒々しさをむき出しにする熊野も、南国の聖地が持つ、のびやかさ、おおらかさが、きよらかさが満ちあふれているときのほうが多い。天上世界の鳥の長い尾が、この世では、「雲のしだり尾」として、私たちにその姿を見せているかのようだった。

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